名称山中城跡
城主なし(番城)
築城期1530 – 1560年頃
1590年3月29日落城
電話番号055-985-2970(案内所・売店)
住所〒411-0011 静岡県三島市山中新田410-4
駐車場あり(無料)
営業時間【案内所・売店】
10:00 – 16:00(12月から2月は10:30 – 15:30)
月曜定休・年末年始休
入場料無料
御城印あり(300円)
案内所・売店にて

山中城跡の観光可能時間・定休日

終日解放されていますが、街灯がありませんので、日中の観光をおすすめします。また、御城印や武将印の販売がされている売店は10時から16時まで(12月から2月は10時30分から15時30分まで)ですので、時間内に行くようにしましょう。

日本100名城スタンプは案内所の外にあるので営業時間外でも利用できます。

山中城跡へのアクセス方法・行き方

JR東海道新幹線または東海道本線「三島駅南口」バス5番乗り場から東海バスで「元箱根港行き」乗車「山中城跡」下車(約30分)

山中城跡の駐車場

乗用車(40台)無料
大型バス(10台)無料

国道1号線から上がってくると「山中城跡駐車場」の看板が見え、広い駐車場があります。

シーズン中や週末など、混雑するタイミングでなければ少し上にある案内所・売店の駐車場があります。こっちのが近いし便利です。

さらに向かい側には、山中城跡入り口すぐの駐車場もあります。

山中城の歴史

三島市山中新田にある山中城跡は「日本100名城」のひとつで、国史跡にも指定されています。

箱根山中の標高580mにあり、城の範囲は東西500m、南北1,000mにも及びます。高い位置にあるので晴れた日には富士山だけでなく、伊豆駿東エリアの街がよく見えます。

小田原に本城を構える後北条氏によって、1530年から1560年頃に築城されました。山中城は「番城」といって特定の城主を置かない城です。

「後北条氏」とは鎌倉幕府執権の北条氏と区別するために呼ばれているもので、実際は「北条」です。

山中城のある伊豆地方の北部は、武田・今川領と国境が隣接していましたので、小田原に本城を構える北条氏にとって西側の防御として山中城は重要な地でした。小田原城の支城「箱根10城」のひとつです。

箱根10城
  1. 山中城
  2. 湯坂城
  3. 鷹ノ巣城
  4. 宮城野城
  5. 韮山城
  6. 進士城
  7. 塔之峰城
  8. 浜居場城
  9. 新庄城
  10. 足柄城

天正期(1573年から1592年)、天下統一を目指す豊臣秀吉が小田原攻めに着手すると、山中城は韮山城、足柄城とともに最前線の軍事拠点として最重要視され、大改修が始まりました。

しかし1590年(天正18年)3月29日、改修が間に合わないまま7万からなる豊臣軍の攻撃を受けてしまいます。このときの山中城の兵は4,000ほどしかおらず、圧倒的な兵力の前にわずか半日で落城したと言われています。

山中城三ノ丸にある宗閑寺の境内には、その時の城将である松田康長をはじめ、敵味方の武将の墓が並んでいます。

山中城の歴史まとめ

1558年 – 1570年
北条氏康により築城

1590年
豊臣秀次率いる7万の攻撃により落城・廃城

1930年
国の史跡に指定される

1973年
三島市が公園として整備・発掘調査の開始

1981年
史跡公園として一般開放

2006年
日本100名城に選定される

山中城跡の見どころ

山中城の見どころはなんと言っても「北条流」の築城技術です。400年前の遺構がそのまま復元されている石を使わない土だけの山城は全国的に見ても非常に珍しく、歴史的な面、技術的な面で評価され「日本100名城」にも選定されています。

箱根旧街道の石畳

山中城跡と駐車場の間には旧箱根津街道の石畳が復元されています。

岱崎出丸跡

山中城の南端に位置する岱崎出丸跡だいさきでまるあとは厳密に言うと函南町桑原が住所ですが、整備は三島市が担当しています。

擂り鉢曲輪

一ノ堀を超えてきた敵軍がすり鉢の底に滑り落ち、底に溜まっている水で動きを鈍くするためのものです。現在は安全のために底上げされているようです。

写真では緩やかそうに見えますが、下から見ると坂はかなり急です。

休憩所

富士山がよく見えます。

出丸御馬場堀

三ノ丸堀

写真奥が駐車場で手前側に進んでくる形です。つまり敵軍は、左側の堀を超えた上から一斉攻撃を受けることになります。

田尻の池

「馬用の水」とありますが、当時は伝染病の予防などにより、馬と人の飲み水は区別されていたようです。

元西櫓下の堀

西ノ丸畝堀

「これぞ北条流」の障子堀による畝堀。現在はかなり浅く掘られていますが、実際は180cmほどの深さだったようです。

当然、このように芝も植えられておらず、すべりやすいローム層の土が露出していたため、敵軍は細い畝の上を一列で進むしかありませんでした。そこを上から一斉射撃したわけですね。

西櫓堀

富士山と桜の絶景

撮影時は12月だったため桜が咲いていませんが、咲いている姿を想像すると春にまた来たくなりますね。

三島市眺望地点 山中城跡

西櫓の架け橋

ワッフルのような障子堀

障子堀は見た目がお菓子のワッフルに似ていることがSNSで話題になりました。ちなみに売店で『障子堀ワッフル』が実際に販売されており、それと合わせた写真をInstagramに上げる人もいます。

西ノ丸堀

掘立柱建物跡

西の丸

西の丸を守るための障子堀、富士山を眺望できる西櫓など、周りは見どころだらけでしたが、西の丸自体はこざっぱりとした平地となっています。

西の丸についてはこの看板のイラストがイメージしやすいですね。

西の丸の見晴台

溜池

山城にとって生命線とも言える水を貯めていた池の跡です。発掘調査では4m掘っても底が確認できなかったようですので相当深い池だったようですね。

北の丸堀

北側はかなり急勾配の要塞となっています。

北の丸と本丸を結ぶ架け橋

本丸跡

天守櫓跡

本丸よりさらに北東、一番の高台には天守櫓の跡があります。ここが最後の戦場になったようです。

本丸と櫓台を結ぶ架け橋

兵糧庫跡

本丸と二の丸を結ぶ架け橋

箱井戸跡

「紅葉のときに来たい」と思わせる状態でした。また、この箱井戸の周りはアジサイが植えられているようですので、その時期にも来たいとも思いました。

樹齢500年を超える大カシの巨木があった諏訪・駒形神社

山中城本丸の下、兵糧庫のすぐ後ろには諏訪・駒形神社があります。

ここには天然記念物にも指定された樹齢500年を超える大カシの巨木がありましたが、2018年(平成30年)9月の台風20号の影響で、根元近くから倒れてしまいました。

戦死した武将が敵味方ともに眠る宗閑寺

箱井戸からすぐの場所にある宗閑寺には戦場で散った両軍の武将の墓が並んでいます。

山中城へのおすすめ観光シーズン

坂をかなり登りますので夏は暑すぎます。春は山中城に桜が咲きますし、秋は紅葉も見られます。

冬になれば富士山に雪が積もりますので、夏以外はおすすめできます。

山間部にあるため冬は道路が凍結します。静岡県民はスタッドレスタイヤを履いていない場合が多いですから、その場合は日中にしましょう。

冬の日中は朝の霜が溶けて道中がかなりぬかるみます。汚れてもいい靴を履いていくことをおすすめします。あとめちゃくちゃ滑るので転ばないように本当に気をつけてください。

バッチリ転びました。

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